wpid-20151228035716.jpg今日のピアノ調律のお客様は七年ぶりに再会するおじいさん。前回会ったとき彼は民生委員で、長女の保育園申し込みのため自営業証明書にサインしてもらったのがきっかけでした。こんな会話だったのを覚えています。

「関さん?どこの出身?」

「埼玉県です(^0^)」

「いつ沖縄に来たの?」

「もう○○年前ですかね?」

「ふーん、そんでここの住所にずっと住んでるの?」

「あ、いえいえ、最初は北谷町のxxというところでした」

「xxというと川沿いの?」

「そうです。△△アパートでした」

「え?それ、僕のアパートだよ!」

なんか見たことあるなと思ったら、あのアパートの大家さん!確かに時折お掃除してましたね。なんてお話しながら手続きを終えると「じゃあ僕のお家のピアノも調律してよ」なんてありがたいお話をいただきました。
まあ、社交辞令のようなかたちでお仕事をいただいたのかな、と受け止めて、その場はお仕事をさせていただき終わりました。ご近所だったので、時々そば屋さんで会ったりする程度でしたが、強く印象に残っていてよく覚えていました。

そのおじいさんに再会したのは意外にもある新聞記事でした。写真付きで掲載されていたから本当に驚きました。記事を読むとそれはおじいさんの戦時中の体験談で、とても今日の日常では起こりえない残虐で悲惨な出来事が記されていました。知っている方の言葉だっただけに、とてもリアルで辛い出来事であったことが鮮明に伝わってきました。まさかこんな近くで、テレビや映画の中で描写されていたような映像を目の当たりにした人がいたとは、戦争とはそんなに遠くないところに存在していたことを知りました。

そしてあの調律から七年経過して、彼は私の電話番号をわざわざ探し出して電話してきてくれました。嬉しい限りです。今でも元気に自動車を運転して、相変わらずのようでした。ピアノの前で「まだこのピアノは使えますか」と聞くので、いつまでも使ってくださいとお願いしました。彼が言うには、このお家を建てたとき、家にピアノがあって音楽が流れたら素晴らしいだろうと思い購入した一品だとのことでした。それ以上は聞きませんでしたが、もう若者ほど動かない指でピアノを撫でたどたどしく鍵盤をいくつか押すのを見ながら、その悲惨な戦争の現場にいた少年にとってピアノがある平和な部屋はどれだけ夢のような世界であったろう、そういう今我々が当たり前に暮らしている生活を手に入れるためにどれだけの時間苦労を重ねてきたのだろう、そしてその当たり前の平和が彼にとってどれほど貴重なものだろうかと思い、涙が出てきました。

「正月には孫たちが集まって、ここに音楽が流れるんです」と新春を楽しみにしているようでした。「ピアノはどうやって手入れしますか?保存方法はありますか?」と尋ねるので、「ピアノは弾いてあげるのが何よりものお手入れになります。人が運動しないと体がなまっていくように、ピアノも弾いてあげないと状態が悪くなりますよ」といったら「じゃあ僕が音を出してもいいのかね?」と聞かれるので「はい、ピアノは人を選びません」とお答えしました。とても嬉しそうに「じゃあ僕でも練習できるんだな。ヘタが叩いたら壊れるんじゃないかと心配したよ」と嬉しそうにおっしゃいました。ピアノが彼の心の安らぎに少しでも役立ったようで、私も嬉しかったです。

幸いにも、ピアノが人を傷つけたり人を不幸にすることはない、と私は思っています。今までピアノを弾けること、演奏技術を習得したことを後悔した人に会ったことがありません。ピアノがご家庭にあって、ピアノの音が響くことで周りの人たちに笑顔があふれたら素晴らしい、とあらためて思いました。

2015年は多くの悲しいニュースが流れました。2016年は、人が憎み合い傷つけ合うことが終息に向かう年になってくれたらいいと思いました。

※個人のため詳しい内容についてのご紹介は避けましたが、琉球新報社の未来に伝える沖縄戦に当時を知る人たちの多くの戦争体験のお話が動画とともに掲載されています。